夏の終電。仕事や飲み会を終え、疲れ果てたOLさんが脚を開いて眠っている。ドキドキ…。
「最近の若い娘は恥じらいってもんがねえよな…。古きよき
パンチラはよう…ヒック」
しかし、横に座る酔っぱらいのおじさんがこうつぶやく。ん?
パンチラに、今も昔もあるんだろうか…。そして、昔のそれは、そんなによかったんだろうか…。
「昭和20年代の女性は、もっと脚を広げて座ってましたよ」と語るのは、
パンチラを歴史的に研究した風俗史家の井上章一氏。
「もともと、
パンツというのは『陰部を隠すもの』だったわけです。スカートの普及とともに広まった習慣です。女性の意識としては、『
パンツを見られる』ではなく、『
パンツで隠してるから大丈夫』だったんです」
これ、今とはだいぶ違った感覚だ。しかも、男も似たような意識だった。そのころの川柳に「つむじ風/惜しいがみんな/はいている」という作品がある。つむじ風でスカートがめくれるけど、みんな
パンツをはいていて残念。ここからは、当時の男が
パンチラをその程度に感じていたことが見てとれる。では、
パンチラはいつごろからありがたいものになったのだろうか?
「昔の
パンツはズロースといって、太ももまで覆う短パンのようなものでした。しかし1950年代後半に、面積が小さく、密着度の高い
パンツが輸入されます。最初は売春婦の間で広がり、やがて一般女性もはくように。その性的な感覚に女性自身がスリルを感じ、恥じらいも増していきました。それにつられて男性の
パンチラ欲も開花。この傾向は、60年代後半に起きた『ミニスカブーム』で決定的なものになります。そのおじさんのいう『古きよきパンチラ』とは、そのころのことを指しているのでは?」
つまり、パンチラを喜ぶのは、男の本能ではなく、形成された文化というわけだ。「パンチラにも歴史ありですね」「若えの、わかってんな!」。真夜中の最終電車に揺られながら、世代を超えてわかりあう男ふたりだった…。
ソース:R25