暦の上の区切りのほかに、競馬界では「ダービーから次のダービー」で1年を考える。騎手の成績は暦年で見るのが普通だが、今年はダービーという競馬界独特の区切りで、
武豊と
岩田康誠の“交換トレード”というエポックメーキングな事件が起きた。中央競馬という場を支配していた
武豊の威光の陰りは、昨年はまだ兆しの段階だったが、07年が明けるとともに一気に表面化した。5月27日の時点で、勝利数ランク首位の
岩田が69勝に対し、
武豊は42勝で7位。年明けにこの数字を予想した人が何人いただろう? 数字だけでもインパクト十分なところに、乗り替わりのサプライズが加わり、嫌が上でも騎手界のパワーシフトを印象づける。一方、一部メディアの乗り替わりへの奇妙な反応には、業界の特殊性が垣間見える。
交換トレードの背景
武豊で皐月賞4着だった
アドマイヤオーラと、京都新聞杯を
岩田で制したタスカータソルテが、ダービー本番ではそっくり入れ替わる異例の事態は、様々な憶測を呼んだ。筆者がこの情報に最初に触れたのは、ヴィクトリアマイルが行われた5月13日午前の東京競馬場だった。関係者によると、
アドマイヤオーラの近藤利一オーナーは、前半でなし崩しに位置取りを下げた皐月賞での
武豊の騎乗に不満を感じていたという。しかも、2週後に香港・シャティンで行われた国際G1、クイーンエリザベス2世C(芝2000メートル)で、
アドマイヤムーンが3着に敗れたことも、不満を増幅させた。香港での
アドマイヤムーンは10頭立ての10番枠。スタートからすぐに1コーナーに入るシャティンの2000メートルは、外枠が圧倒的に不利だ。
アドマイヤムーンは好スタートから先行グループに取りつく勢いだったが、1コーナーでやはり位置取りを下げ、結局はスローペースにはまって、前の2頭から大きく引き離された。
問題の2頭は栗東・松田博資厩舎。不満を感じていたのは松田博調教師も同じだった。5月13日午後には、同チームのアドマイヤキッスがヴィクトリアマイルに出走予定だった。勝てば展開が変わっていたかも知れないが、ここも7着。翌14日発行の専門誌「競馬ブック」上のダービー登録馬の出馬表で、
アドマイヤオーラが「騎手未定」となっていたため、多くの競馬ファンも異変を察知した。15日から
武豊はタスカータソルテの調教に騎乗し、翌16日に自身のホームページ(HP)で、タスカータソルテ騎乗を正式発表した。
HPの更新を受け、各メディアも「武豊降板」を大きく報じた。「降板」と伝えられたが、「(武豊とは)もともと皐月賞までの約束だった。降ろしたわけではない」が松田博調教師の立場という。実際、皐月賞前にも
アドマイヤオーラの追い切りに
岩田が騎乗する例もあった。松田博調教師と言えば、昨秋に神戸新聞杯をドリームパスポートで勝った自厩舎の高田潤を、菊花賞では
横山典弘にスイッチするなど、勝負に対するシビアさは人後に落ちない。むしろ、決断のタイミングを遅らせたのは近藤オーナーの方だったという。騎手側に言い分があるにせよ、乗り方で馬主の不興を買った騎手が交代するのは、世界の競馬では日常茶飯事である。JRAでも、武豊より実績の乏しい騎手なら、さほどの反響を呼ばないだろう。
陰謀論とその背景
ところが、ネットや一部雑誌では、陰謀論めいたコメントが飛び交っていた。いわく、「
岩田や安藤勝己の騎乗馬の調整役をしている競馬専門誌の取材スタッフが、“武豊包囲網”を敷いている」「武は自分から(
アドマイヤオーラの)騎乗を断った」等々。ネット上に流布する根拠不明のコメントを、雑誌が後追いする形で広がる図式である。前者のコメントはある雑誌のネット上の記事だが、因果関係が逆である。武豊は昨年、178勝をあげ、
岩田と安藤に50勝以上の差をつけた。今年のようなパワーシフトが、トラック外の要因だけで起こるはずがない。すべては「本人の状態が悪い」ことに端を発する。勝率、連対率、勝ち数と2着数の比率などを見れば、素人でもわかる。日々、賞金を奪い合っている馬主や厩舎人は、勝つ可能性が高まるなら、少々の素行の悪さにも目をつぶる。「包囲網」など、論評に価しない与太話である。
後者は、02年に覚せい剤使用で有罪判決を受け、JRAから15年の競馬関与停止処分を受けた田原成貴・元調教師である。自身の競馬予想会社のサイトに掲載されているが、これもあきれた話だ。現役の関係者が、厩舎や競馬場への出入り禁止を食っている人物に情報を流して、何のメリットがあろう? 予想会社は馬券購入者の認知的不協和につけ込む存在で、ハッタリはつき物だが、少数でも、この程度の子供だましに引っかかる人がいるのは困ったことだ。
この種の陰謀論的コメントが幅を利かせる理由も問題だ。メディアの騎乗批判がタブーだからである。皐月賞やシャティンでの乗り方は、全否定するかどうかは別として、疑問の声が出ても不思議はない。だが、メディアが実際に声を上げると、取材拒否で応戦する人が多い。武豊も04年、「週刊競馬ブック」誌のレース短評で、乗り方を批判的に書かれたため、取材拒否で応じ、結局は同誌が謝罪して事態を収拾した。今回のような例で、一部のメディアでも批判的な見解を表明すれば、ファンも認識を共有し、交代を自然に受け止めただろう。競馬界に限らず、取材拒否をちらつかせて批判を封じるやり方は、日本のスポーツ界でよく見る病である。億単位のキャッシュを背負って馬を走らせるプロの騎手や調教師は、結果を出せなければ批判されて当然。批判する側が条理を尽くすべきなのは無論だが、批判を封じるようでは、そもそもプロの資格はない。
競争激化のメリットとリスク
武豊が一昨年まで、年間200勝の大台を軽々と超えていたのは、本人の実力に加えて、騎手界の構造変化も追い風になっていた。80年代以降、騎手界ではフリー化、国際化、地方との交流、レースと調教の分業化が同時進行した。騎手経験のない調教師が増えた結果、厩舎と騎手の関係はドライになり、地方や外国勢を含めて、少数の好成績組に騎乗が集中する傾向が強まった。こうした中、殺到する依頼をさばくため、馬と騎手の動向を把握している競馬専門紙の取材者の中から、交通整理をする人が現れ始めた。JRAは今年から、彼らを「騎乗依頼仲介者」と位置付け、利用している騎手に自主申告を求めるようになった。現時点での利用状況は、美浦の13人の騎手が6人(うち専業1)、栗東の21騎手が14人(同3)という。こうした形態は、有力騎手1人に代理人1人の米国とも、有力馬主との年間契約騎乗が多い欧州とも違い、トップ騎手に極めて有利だ。最大の受益者が武豊で、数ある有力馬の中から、最後に可能性が高いと見た馬を選ぶ“いいとこ取り”を続けてきた。01年から昨年までのダービー出走馬で、武豊が1度でも乗った頭数は「4→5→5→8→5→8」。かくも多くの他陣営が、戦う前に敵に背中を見せていたに等しいのである。
言い換えれば、乗せる側に選択肢が乏しかったのだが、安藤勝己に始まる、地方騎手のJRAへの“エクソダス”は、徐々に構造を変えた。岩田は昨年、10カ月で952回乗り、今年は年間1000回をうかがう。昨年、武豊が4年ぶりに200勝の大台を割ったのも、こうした変化を受けたものだが、昨年暮れに香港で武豊が騎乗停止処分を食い、
ディープインパクトの有馬記念騎乗と引き換えに、年明けの6日間を棒に振ったことで、伏流水が一気に噴出した。思えば02年、武豊は2月末の落馬事故で重傷を負い、皐月賞に乗れなかったが、
タニノギムレットの陣営はダービーで武豊のポストを開けて待った。一見、美しい話だが、選択肢が少なかったのだ。状況は変わった。現在の体制は「実力の切れ目が縁の切れ目」。非常にシビアで、武豊の時代を後押しした環境が、今度は武その人に牙をむき始めた。千両役者が、いかにこの苦境を脱するかは実に興味深い。
波乱のダービーの後で
ダービーでは、武豊も岩田も主役の座を占められなかった。
タニノギムレット産駒の
ウオッカが牝馬として64年ぶりの優勝という偉業を達成。優勝騎手の四位洋文は、02年の皐月賞で
タニノギムレットに乗って3着に敗れた因縁もある。敗れたとは言え、岩田は正攻法で3着。今後につながる負け方と言えるだろう。武豊はダービーでは11着に沈んだが、最終レースに組まれた目黒記念では、
ウオッカと同じ角居勝彦厩舎のポップロックで優勝、意地を見せた。ともかくも、今年だけの動向を見ていれば、昨年までのような武豊の1人天下が再現するとは想像しにくい。
群雄割拠となりつつある騎手界。ヴィクトリアマイルをコイウタで制した松岡正海(22)を始め、若手も台頭してきた。関東では、NHKマイルCを制した内田博幸(大井)の動向も目が離せない。選択肢が多くなることは、競馬にとっては肯定的な変化である。
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