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レザーク (Les Arcs)=イギリス
せん・6歳・黒鹿毛 (アメリカ産 2000年4月24日生まれ)
父 : Arch
母 : La Sarto(母の父:Cormorant)
馬 主 : W.マッケイ
調教師 : T.ピット
騎 手 : E.サンマルタン
戦 績 : 通算38戦12勝
主な勝ち鞍 : 06ジュライC(G1、イギリス)
06
ゴールデンジュビリーS(G1、イギリス)*GSC第4戦
レザークは、米国メリーランド州のエルクマーナファームの生産馬です。当初の馬主はドバイの首長の
マクツーム殿下(今年1月死去)でした。調教師は最初、英国のJ.ゴスデンでしたが、3戦したあとの2004年から同じ英国のR.ゲストきゅう舎へ移籍し、現在のT.ピット調教師(英国サウスヨークシャー)のもとへ移ったのは、昨年の最終戦からのことです。馬主が現在のW.マッケイ氏に代わったのは4歳時の2004年から。
レザークは今年のグローバル・スプリント・チャレンジの第3戦キングズスタンドS(英G2)こそ11着でしたが、続く第4戦の
ゴールデンジュビリーS(英G1)を勝ち、現在のポイントはテイクオーバーターゲットに次ぐ2位。これからスプリンターズS(シリーズ第6戦)と香港スプリント(シリーズ最終戦)を勝てば、逆転優勝の可能性があります。
レザークは、今年6月、6歳で初めてG1(
ゴールデンジュビリーステークス)に出走して勝ち、続く7月のジュライC(英G1)にも勝った晩成型の名馬です。ここに至るまで長い間、一般競走で力を蓄えていました。
初出走は3歳時の2003年5月30日、古代ローマ時代の浴場跡が町の名前になったバース競馬場の未勝利戦(芝2,040m)。これはJ.フォーチュンの騎乗で2番人気に推されましたが、差して届かず、セイホアットユーシーの1馬身1/2差2着でした。レースは10頭立て。
次いで2003年6月19日の未勝利戦(リポン競馬場、芝2,000m)に向かうと、先行して抜け出し、後続に3馬身差の快勝を収めます。騎乗はR.ハヴリン。7頭立ての本命でした。
その後は3戦着外のあと、一般競走2着を経て、2004年6月の一般競走(ハミルトン競馬場、芝1,660m)で2勝目。名手K.ファロンの騎乗で差しきり、本命の期待に応えました。
それからの8戦(障害1戦のほかは全て平地の一般競走)は、3着2回以外は着外ばかりで振るわず、2004年12月の一般競走(ウルヴァーハンプトン、全天候馬場1,730m)で久々の勝利。F.ノートンの騎乗で待機策からの差し切り勝ちでした。
次いで5歳時の2005年1月~2月まで、全天候馬場の1,400m~1,600mで3、2、2着。芝に代わって2、8着のあと、05年5月の一般競走(マッセルバラ競馬場、芝1,430m)で5ヶ月半ぶりの勝利を飾ります。F.ノートンの騎乗でトゥルーナイトに1馬身差の差し切り勝ち。レースは8頭立てでした。1番人気タイに推され、良馬場の勝ちタイムは1分29秒7。
続く2005年6月の一般競走(チェスター競馬場、芝1,400m)もF.ノートンが騎乗して鮮やかな差し切り勝ち。リトルグッドベイに1馬身の差をつけ、良馬場の勝ちタイムは1分25秒8。このあと2005年10月までに5戦して2着1回でしたが、2005年12月の一般競走(リングフィールド競馬場、全天候1,200m)に向かうと、J.オライリーの騎乗で後方から突き抜け、6ヶ月ぶりの勝利を挙げます。良馬場の勝ちタイムは1分10秒6。
これを契機として充実の時を迎えます。明けて2006年、6歳初戦として1月の一般競走(ウルヴァーハンプトン競馬場、全天候1,200m)に出走すると、コスターに1馬身1/4の差を付けて快勝します。騎手はJ.オライリー。このあとさらに2月の一般競走(リングフィールド競馬場、全天候1,000m)を先行して抜け出し、3月に入って一般競走(リングフィールド競馬場、全天候1,000m)と準重賞のカミッジトロフィー(レッドカー競馬場、芝1,200m)を連勝。カミッジトロフィーはN.カランの騎乗で5番人気でしたが、先行してよく伸び、2着のキトに3/4馬身の差をつけました。レースは13頭立て。重馬場の勝ちタイムは1分16秒3。
これで2005年末から5連勝としましたが、続く06年4月の準重賞、アバーナントS(ニューマーケット競馬場、芝1,200m)は逃げたパラダイスアイルにハナ差及ばず、惜しい2着。ここはJ.イーガンの騎乗で1番人気でした。これ以来、前走までの4戦すべてイーガンが騎乗しています。
続く5月のG2テンプルS(サンダウン、芝1,000m)は逃げてかわされ、レヴァレンスから8馬身差の8着。さらに6月20日、
アスコット王室競馬のキングズスタンドS(G2、芝1,000m)に向かうと、二つに分かれた馬群のうちスタンド側の好位を進んだものの、伸びを欠いて28頭立ての11着。ただし着差は1馬身1/2程度で、着順が示すほど悪いレース内容ではありません。キングズスタンドSは最初に触れた通り、グローバル・スプリント・チャレンジの第3戦で、これを勝ったのがすでに来日しているテイクオーバーターゲットです。G2のテンプルSを勝ったレヴァレンスはここで16着に大敗しますが、この後8月末のナンソープS、9月2日のスプリントCと英G1を連勝しています。
こうしてG2を続けて着外に敗れた
レザークですが、次いで6月24日、わずか中3日で同じ
アスコット王室競馬の
ゴールデンジュビリーS(英G1、グローバル・スプリント・チャレンジ第4戦、芝・直線・1,200m)に向かうと中団待機から残り400mで仕掛け、あと200m手前で先頭へ。鋭く追い込むバルサザールズギフトをきわどくクビ差に抑え、重賞初勝利をG1で飾ることになります。レースは18頭立て。良馬場の勝ちタイムは1分13秒1。ここはオッズ34倍の人気薄でした。テイクオーバーターゲットも出走していて、オッズ4.5倍の本命でしたが、残り400mでいったん先頭のあと伸びず、2着馬から2馬身遅れて3着に敗れています。
そして前走となるのが7月14日のジュライC(英G1、ニューマーケット、芝・直線・1,200m)。好位に控える競馬から鋭く肢を伸ばし、イフラージの追撃をアタマ差に抑えてG1 2連勝です。良馬場の勝ちタイムは1分11秒1。レースは15頭で争われ、ここはオッズ11倍の5番人気タイでした。テイクオーバーターゲットはオッズ5.5倍の1番人気で7着。ただし着差は1馬身3/4の小差でした。
<血統>
父のアーチは98年の米G1スーパーダービーの勝ち馬。主な産駒に南アのベストスプリンター、オーヴァーアーチングなど。アーチの父のクリスエスはロベルト系の名種牡馬で、日本でシンボリクリスエスを出した。母のラサルトは24戦4勝。ラサルトの半弟にチャーチルダウンズHなど米G2 2勝のアラナンがある。母の父コーモラントは米G1ジャージーダービーの勝ち馬で、産駒にケンタッキーダービー馬ゴーフォージンなどがある。
レザーク号 関係者プロフィール
★馬主:ウィリー・マッケイ氏(Willie Mckay)
1959年6月4日生まれ。47歳。英国国籍。
出身地であるスコットランドのグラスゴーでブックメーカーを経営していたマッケイ氏は、来店する複数のフットボールエージェント(サッカー選手の代理人)と知り合いになり、それを機にフットボーラーのエージェント業務に転身を果たした。同氏が代理人を務める某選手の移籍では、50万ポンド(約1億1,000万円)を稼いだことで話題になったこともある。
マッケイ氏は現在、そのお金を競馬に投資しているが、フットボーラーと馬を知る同氏が「馬を扱う方がずっと簡単(稼ぎやすい)」とコメントするなど、豊かな個性の持ち主としてちょっとした有名人である。
多くの異なった調教師に所有馬を預託しているマッケイ氏は、昨年8月に自身が所有するきゅう舎を引き継ぐ新たな調教師を募集した際、応募者45名の中で唯一調教師免許を所有していなかったピット氏を抜擢。そのピット師に預託したレザーク号が見事G1を2連勝と抜群の勢いでスプリンターズステークスに参戦する。
★調教師:ティモシー・ピット氏(Timothy J Pitt)
1974年8月1日生まれ。32歳。英国国籍。
ヨーロッパの多くの調教師がロイヤル
アスコット開催での成功を夢見るなか、昨年8月に開業し、そのわずか10カ月後に同開催の
ゴールデンジュビリーステークス(G1)をレザーク号で勝利した。
ルーキーイヤーの昨年12月にレザーク号できゅう舎初勝利をあげた後、ここまで95戦16勝、2着7回と好成績を残している。今年の2歳戦では、15戦5勝、2着3回と好調で、今後ますますの活躍が期待される若手調教師である。
★騎手:エリック・サンマルタン騎手(Eric Saint-Martin)
1965年8月31日生まれの41歳。フランス出身。1993/1994シーズンから香港で騎乗しており、香港では昨シーズンまでに349勝をあげている。
昨シーズンは、34勝でリーディングは第8位であったが、香港クラシックマイル(香港GI)、センテナリースプリント(香港GI)など重賞3勝をあげ、大舞台での活躍が光る。しかし何と言っても最も輝かしい栄光は、1993年の
ジャパンカップにも出走したアーバンシーでの凱旋門賞(1993年)制覇であろう。そしてまたこの勝利は、エリック・サンマルタンの父であり、凱旋門賞を4度制したフランス競馬の至宝イヴ・サンマルタンとの父子での制覇となったことは有名である。
日本での騎乗は、1993年の
ジャパンカップ(アーバンシー)を皮切りに、翌94年の安田記念(ドルフィンストリート)、99年の安田記念(オリエンタルエクスプレス)、さらに2002年には
ジャパンカップ(インディジェナス)及びWSJSがあり、今回は2002年以来の来日となる。
★馬名の
由来 最初のオーナー、シェイク・モハメド殿下の命名により詳細は不明。同名のスキーリゾート地がイタリア・スイス国境に近いフランス・アルプスにあり、それに因んで命名されたものと類推される。
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テーマ : 海外競馬
ジャンル : ギャンブル