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ウィジャボード (Ouija Board)=イギリス
牝・5歳・鹿毛 (イギリス産 2001年3月6日生まれ)
父 : Cape Cross
母 : Selection Board (母の父:Welsh Pageant)
馬 主 :
ダービー卿
調教師 : E.ダンロップ師
騎 手 : L.
デットーリ(予定)
戦 績 : 通算21戦10勝(2006年11月4日現在)
主な勝ち鞍 : 英オークス(英G1、2004年)
愛オークス (愛G1、2004年)
ブリーダーズCフィリー&メアターフ(米G1、2004年・2006年)
香港ヴァーズ(香G1、2005年)
プリンスオブウェールズ(英G1、2006年)
ナッソーS(英G1、2006年)
ウィジャボードは昨年の
ジャパンカップに出走し、私たちにもおなじみの馬です。K.ファロンが騎乗し、単勝12.8倍の5番人気通りの5着でした。ただし仕掛けが少し早かったのと、ゴール前で他馬に前をカットされる不利がありながら勝ったアルカセットから0秒3、着差にして2馬身なら好走といえます。
ウィジャボードは昨年の
ジャパンカップのあと、中1週で香港ヴァーズ(G1、シャティン競馬場、芝2,400m)に出走し、12頭立ての10番手で最後の直線に向く展開から一気に突き抜けました。馬群を割って抜け出すと、日本のシックスセンスに約3馬身の差をつける快勝でした。良馬場の勝ちタイムは2分28秒9。ここもK.ファロンの騎乗で単勝4.45倍の2番人気でした。この香港ヴァーズで引退のプランもありましたが、牡馬相手に非常に強い勝ち方をしたため、もう1年現役を続けることになりました。
今年の初戦は3月25日、ドバイワールドC当日のナドアルシバ競馬場(アラブ首長国連邦・ドバイ)で行われたドバイシーマクラシック(G1、芝2,400m)。ここは日本のハーツクライが逃げる展開となり、英国のコリアーヒル(今年10月のカナディアンインターナショナルS優勝馬:加G1、ウッドバイン競馬場、芝2,400m)に4馬身1/4の差をつけて圧勝しました。K.ファロン騎乗の
ウィジャボードは3ヵ月半の休み明けが不向きだったのか、中団から伸び切れず、着差9馬身差の4着に敗れました。レースは14頭立て。良馬場の勝ちタイムは2分31秒8。
次いで4月23日、香港のシャティン競馬場へ向かってクイーンエリザベスII世C(G1、芝2,000m)に出走しますが、鋭く追い込んで届かず、イリディセンスからアタマ、短頭差の3着でした。騎手はL.
デットーリ。良馬場の勝ちタイムは2分2秒0。
さらに6月2日コロネーションC(英G1、エプソム競馬場、芝2,400m)も2着。6頭立てとあって好位をマークのレースでしたが、シロッコ(昨年のBCターフ優勝馬:米G1、ベルモントパーク競馬場、芝2,400m)はさすがに強く、1馬身3/4及ばなかったもの。騎手はL.
デットーリで、シロッコに次ぐ2番人気でした。
次いで出走したのがアスコット王室競馬のプリンスオブウェールズS(英G1、芝2,000m)。レースは6月21日に行われ、控える競馬から一気の差し脚を見せ、逃げたエレクトロキューショニスト(3月のドバイワールドC優勝馬<G1、ナドアルシバ競馬場、ダート2,000m>で、7月のキングジョージVI&クイーンエリザベスDS<英G1、アスコット競馬場、芝2,400m>でハーツクライに先着の2着)を1/2馬身差し切って優勝しました。G1通算5勝目ですが、“
ウィジャボードの生涯ベストレース”の声がかかるほど鮮烈なレースでした。ここはO.ペリエの騎乗で、良馬場の勝ちタイムは2分6秒9。レースは7頭立て。オッズは9倍の3番人気でした。来春から日本で種付けに供用されるデビッドジュニアは4着。
このあと7月8日のエクリプスS(英G1、サンダウン競馬場、芝2,000m)に向かい、1番人気に推されますが、最後方追走からゴール前で前が詰まる決定的な不利がありデビッドジュニアの5着に敗れます。着差は約4馬身。レースは9頭立て。良馬場の勝ちタイムは2分7秒3。騎手はC.スミヨン。
次いで8月5日、今年になって初めての牝馬限定G1、ナッソーS(グッドウッド競馬場、芝2,000m)に向かうと、アレクサンダーゴールドラン(G1 5勝)を2着に抑えて本命の期待に応えます。L.
デットーリの騎乗で先行策から残り600mで先頭に立つ積極策でした。良馬場の勝ちタイムは2分4秒4。レースは7頭立て。
続く9月9日の愛チャンピオンS(G1、レパーズタウン競馬場、芝2,000m)は、J.スペンサーの騎乗で5頭立て3番手から残り300mで先頭へ。しかし、そこから今年の愛
ダービー馬ディラントーマスに差し返され、クビ差の惜しい2着でした。
ウィジャボードは、予定通り11月4日のブリーダーズCフィリー&メアターフ(米G1、チャーチルダウンズ競馬場、芝2,200m)に出走します。レースはL.
デットーリ騎手が騎乗、中団後方で折り合い、馬群をぬって直線先頭に立つと、2着のフィルムメーカーに2馬身1/4の差をつける快勝。2004年に続き、2度目のブリーダーズCフィリー&メアターフ優勝を飾りました。
このあとは
ジャパンカップ、それから12月10日の香港ヴァーズ(または同日に同じくシャティン競馬場で行われる香港カップ:G1、芝2,000m)で引退の予定です。
ここで昨年の
ジャパンカップ以前を振り返ると、初出走は2歳時の2003年10月の新馬戦(英、ニューマーケット競馬場、芝1,400m)。これは3着でしたが、続く一般戦1着、準重賞3着で2歳戦を終了。
翌2004年の3歳時は英オークス(G1、エプソム競馬場、芝2,400m)を7馬身差で圧勝し、さらに愛オークス(G1、カラ競馬場、芝2,400m)、ブリーダーズCフィリー&メアターフ(米G1、ローンスターパーク競馬場、芝2,200m)とG1を計3勝。
2005年の4歳時は秋になって調子を取り戻し、ブリーダーズCフィリー&メアターフ(米G1、ベルモントパーク競馬場、芝2,000m)2着を経て
ジャパンカップに参戦しました。
ウィジャボードは第19代
ダービー卿の自家生産馬で、調教師はエドワード・ダンロップ師(英・ニューマーケット)。
ダービー卿はリバプール近郊に英国最大規模のノーズリー・サファリパークを所有、資産4,000万ポンド(約88億円)とされる大富豪です。
(血統)
父のケープクロスはダンチヒ系グリーンデザート(1986年ジュライC優勝)の直仔で、芝の英G1のロッキンジSを勝ったマイラー。他の産駒にニュージーランド1000ギニーなどG1を3勝したシーチェンジなどがある。母のセレクションボードは入着馬。祖母のウィジャ(勝ち馬)の産駒に米G1のアーリントンミリオン(1985年)を勝ったテレプロンプターがある。母の父ウェルシュページェントはクイーンエリザベスII世Sなど現G1級を勝った名マイラーであった。
ウィジャボード号 関係者プロフィール
☆馬主:
ダービー卿
1962年10月10日生まれ。
本名は、エドワード・リチャード・ウィリアム・スタンレー、通称テディ。
家族は、妻キャロラインと子供が3人。プレスコットのノーズリーホール在住。
1994年叔父の逝去に伴い第19代
ダービー卿を継ぐ。ダービー卿は、もちろん英国クラシック競走の基本とも言うダービー創設者12代ダービー卿の子孫。
一族で最も著名なのはもちろん12代ダービー卿だが、彼の子孫の中で最も競馬界で成功したのは17代ダービー卿(1865~1948)。彼の所有馬で最高傑作と言われる、1934年の英ダービーを圧勝したハイペリオンは、現在のサラブレッドに多大な影響を与える偉大な種牡馬である。また、自らの所有馬で、2000ギニーを2回、1000ギニーを7回、ダービー3回、オークスを2回、セントレジャーを6回優勝している。彼は当時最も有名だったスタンレーハウススタッドを創設している。彼の死後18代ダービー卿も1984年にアスコットのクイーンエリザベスII世Sや85年にアーリントンミリオンS優勝馬など数頭を保有していたが、最近では次第にその数は減っていっていた。ニューマーケットの有名なスタンレーハウススタッドは兄弟のピーターが管理している。
2004年の英国サンデータイムズの富裕者リストによるとダービー卿の財産は、4000万ポンドと記載されている。
今年11月6日現在で英国において12戦3勝し約40万ポンド獲得し賞金17位。
☆調教師:E.ダンロップ師
1968年10月20日生まれ。家族は妻レベッカと3人の幼い娘たち。
英国のチャンピオン調教師J.ダンロップ師の息子。名門イートン校で学んだ後、シドニーにあるナショナルスタッドコースに入学する前にアイルランドやケンタッキーのきゅう舎や牧場で働くことにより競馬サークルとの関係を持つ。英国に戻り3年間N.ヘンダーソン調教師の下でアシスタントトレーナーとして働き、その後、93年頃から有名なオークステーブルきゅう舎のアシスタントトレーナーも勤めるようになる。そして、94年にオークステーブル、アレックス・スコット氏の突然の死亡により、きゅう舎経営を任される。マクトゥーム殿下の援助を得て管理馬を増やし、94年10月に調教師免許を取得。きゅう舎の名前をゲインズボローに改める。94年10月19日、自らの管理馬がヤーマス競馬場で初勝利を挙げる。
その後100頭以上を管理するようになり、96年に結婚、すぐさま初クラシック勝利となるフランス1000ギニーをタリブで挙げる。その後勝鞍を伸ばし、多数の重賞を制覇、2002年には管理馬は150頭を超える。今までの主な勝鞍には、ナイトスカイのグランドクリテリウム、ポッシブダンサーの伊・愛オークス、レラーニの愛オークスなど多数のG1がある。
2004年英国において325戦33勝、約26万ポンド獲得。昨2005年は312戦43勝約57万ポンド獲得し、賞金31位。今年は大きく成績を伸ばし、11月6日現在ウィジャボードで挙げたプリンスオブウエールズSやコートマスターピースのサセックスS等を含め415戦52勝、約118万ポンド獲得し賞金11位。
☆騎手:L.
デットーリ(予定)
1970年12月15日生まれ。
父は、イタリアの大騎手ジャンフランコ・デットーリ。JCにも参戦したことがあり、第2回JCにスカウティングミラーで12着、第3回JCにチェリオルーフォで8着。親子二代でのJC騎乗は唯一。
デットーリ騎手は、1985年から英国に騎手留学し、ルカ・クマーニきゅう舎の見習いジョッキーとなったが、翌86年にイタリアに戻りデビュー、11月9日にトリノ競馬場で初勝利を挙げる。
87年から、英国で本格的に騎乗を開始、6月9日にグッドウッド競馬場で英国での初勝利。89年には75勝を挙げ英国見習騎手のチャンピオン。翌90年にクマーニきゅう舎の主戦騎手となり、8月27日に10代でシーズン100勝という記録を達成。
93年には、6月11日に英国競馬史上最速で100勝を挙げ、9月1日には同最速200勝を達成(従来の記録はいずれも1949年のSir. Gordon Richards)。この年、英国騎手の互選による年間最優秀平地騎手およびパーソナリティ・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
94年からは、マイケル・ロバーツ騎手の跡をついでJ.ゴスデンきゅう舎の主戦騎手となる。同年と翌95年はリーディングジョッキーとなり、名実共に英国トップ騎手の座についた。とくに95年は、英オークス、英セントレジャー、仏2000ギニー、凱旋門賞、キングジョージと5つのG1レースを制覇。セントレジャーでは英国通算1000勝を達成、大舞台での強さを見せた。
96年には、骨折休養から復帰直後の9月28日のアスコット競馬場で、当日のメインレースのクイーンエリザベスII世S(英G1)をはじめG2、G3など全7レースを制覇するという英国競馬史上初めての大記録を打ち立てている。
97年ワールドスーパージョッキーシリーズに招待されていたが、落馬負傷で参加できなかった。2000年6月1日、安田記念への来日直前に飛行機事故で負傷。右足首を骨折する。8月4日にカムバックしたあとムータティルで挙げたジャックルマロワ賞等多数の重賞レースを制するが、やはり長期の療養が響き、英国において246戦45勝、約130万ポンド獲得し、勝鞍28位並び、賞金8位。
日本には、92年と93年にヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップに参加、両年共に優勝、96年のJCではシングスピールで優勝、同年のWSJSにも参加し7位。98年のJCはフェイスフルサンで7着。同年のWSJSは、13位。99年のJCがハイライズで3着。2000年がファンタスティックライトで3着。WSJSは11位。2002年のJCがファルブラヴで優勝。昨2005年アルカセットでJCを制覇、JCに3勝した唯一の騎手となる。
2004年英国においてファロン騎手との首位争いを制し、リフューズトゥベンドのエクリプスS、ドワイエンのキングジョージ等を含め775戦172勝、約446万ポンド獲得。勝鞍、賞金ともに1位。3回目の首位騎手の座を手中にする。2005年7月2日サンダウン競馬場でセルティックミルに騎乗、落馬し鎖骨を骨折、そのため2ヶ月余りを療養に費やし、8月26日ニューマーケットで復帰、スコーピオンで挙げた英セントレジャー等を含め英国で493戦87勝、約159万ポンド獲得し勝鞍15位、賞金11位。今年はウィジャボードのナッソーS、シックスティーズアイコンの英セントレジャー等を含め英国で11月8日現在592戦131勝、約335万ポンド収得し、勝鞍4位、賞金1位。その他主なG1勝ちにはエレクトロキューショニストのドバイワールドC、リブレティストのムーランドロンシャン賞やジャックルマロワ賞、サージェントセシルのガドラン賞等がある。また、今年のケンタッキー州チャーチルダウンズ競馬場で行われたブリーダーズカップでは、ウィジャボードでBCフィリー&メアターフを、レッドロックスでBCターフを制し、欧州騎手では史上初となるBCデー2勝の快挙を達成。
97年7月に結婚。家族は妻と子供5人。
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