◇日本初の
メダル、男子
フルーレ個人「
銀」--京都クラブの
太田雄貴さん「勝つ喜び、
ロンドンでも」
◇「時の人」一目…拍手の出迎え 府スポーツ賞特別栄誉賞授与--「経験10年」の山田知事と談笑
北京
五輪・
フェンシングの男子
フルーレ個人で
銀メダルに輝いた京都クラブの
太田雄貴選手(22)=同志社大卒=が21日、府庁を訪れ、70年余りとされる日本の
フェンシング史上初の
メダル獲得を山田啓二知事らに報告した。記者会見にも応じ、「北京は最高の夢舞台だった。一夜で人生が変わった」と改めて喜びをかみしめた。
大津市出身の太田選手は父の影響で小学3年で競技を始め、平安高(現・龍谷大平安高)時代にはインターハイ個人
フルーレで史上初の3連覇を達成。初めて
五輪に出場した前回アテネ大会では9位だった。今大会開幕前の6月30日にも府庁を訪問。これまで最高成績だった東京
五輪男子
フルーレ団体4位の記録を抜くと公言して臨んだ北京だった。
この日の太田選手は左胸に日の丸のエンブレムが入ったグレーのスーツ姿で、首には光る
銀メダル。見事な凱旋(がいせん)を果たした「時の人」を一目見ようと集まった大勢の府職員らが拍手で出迎えた。
山田知事は「これからは
フェンシングだけでなく、日本のスポーツを切り開く旗手として頑張って」とたたえ、「京都府スポーツ賞特別栄誉賞」の額などを授与。知事自身も中学から大学まで10年間の
フェンシング経験があり、準決勝や決勝での試合運びなどの談義に花が咲いた。
会見で太田選手は「多くの支えと応援を力に変えることができた。やってきた練習量とメンタルトレーニングの相互作用が結果につながった」などと振り返った。一方で、準備段階での「やり切った感」から北京を最後に競技人生を終えるつもりだったと告白。だが「
五輪で勝つ喜びを思い出し、やっぱり僕は純粋に
フェンシングが好きだったんだと思った」と吐露した。
今後については「ある程度休んだら練習を再開し、目の前の試合を一つずつこなしたい」と、早くも4年後の
ロンドン五輪を見据えた発言。北京で戦った強豪は同い年(85年生まれ)が多く、「『最強の世代』と言われたい。
ロンドンで表彰台を独占し、自分がその真ん中に立ちたい。トライし続けるのが僕の宿命」と力強かった。
フェンシングの国内普及に貢献したい意向も見せた。【武井澄人】
毎日新聞 2008年8月22日 地方版
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20080822ddlk26050401000c.html